バンコク ゴーゴーバー の思い出 by マタハリ ここにはじめて来たのは95年の8月だった。それからずいぶん 変わったようだ。その当時は、確かに女の子2流どころが多かった。 しかし田舎から出てきたばかりのウブの子も多く、そこの点が気に 入って2ケ月おきくらいにここに通っていた。金曜日の夜に着いて、 月曜日の朝のフライトで仕事に戻るなんてこともやっていた。 (マレーシア在住です) 他のエリアと違い、ここはそのころからスッポンポンで踊っていた。 ビールも安かった。その当時はプレイスクールがダントツで、他は 似たり寄ったりだったような気がする。 ウドンターニーから出てきたばかりの19歳の女の子とねんごろになり、 毎日連れ出しては、朝まで過し、次の日は彼女の着替えのために アパートに寄って、そのまま出勤というパターンだった。その子とは 1年を過ぎたあたりから疎遠になった。 その後、たまたまナナにあそびに来てた大学生と深い仲になり、 しばらく行かなかったのだが、3年目にすでにいなくなっていた。 店の子の話だと、田舎へ帰ったという。ゴーゴーバーのような苛酷 な労働環境では、働きつづけられるのは、1〜2年くらいがいいと ころなようだ。 しかしその後また行ってみると、また働いている。話しを聞くと 田舎は退屈でどうしようもなく、また舞い戻ってきたらしい。バン コクの派手な生活が忘れられなくなっていたのだろうか。 まだ22歳なはずだが、体の線は崩れ、肌も生気がない。客も あまりつかないのだろう。その姿を見て、「疲れているから、 連れ出し料だけ払って」と言われ、哀れに思い、払うだけで、 連れ出さなかった。 98年の夏にはいたが、今年の夏、1年ぶりに行ってみても やはりいなかった。店の子もたいてい入れ替わっていて、行方 は誰も知らなかった。プレースクール自体も、レインボーなどの 新しい店におされているのか、今回はあまり流行っていなかった。 昔はいつ行っても満員だったのだが。 レジの脇のホワイトボードには、その日出勤している女の子の 番号が書いてある。3年間いつ行ってもあったその番号がない のはさびしい気がした。 あれからナナプラザも有名になり、日本人の姿もよく見かける ようになった。華やかばかりに見えるが、その影を見たような気 がした。
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